神戸市長田区は、港町・神戸の中心部とは少し異なる、生活とものづくりが近い距離で共存してきた街です。商店街に響く呼び声、路地に残る小さな工場の気配、そして長い年月を重ねてきた神社の静けさ。
olmo+(オルモプラス)が店を構えるこの場所には、観光ガイドの数ページでは語り尽くせない「人の営みとしての歴史」が、日常の風景として積み重なっています。
この記事では、公的記録や公式資料に基づく事実を軸に、olmo+を訪れる前後に立ち寄れる長田区周辺の歴史的背景と記憶の層を紹介します。
1. すべての原点|「長田神社」と古代の信仰

長田の歴史をたどる上で、中心的な存在が長田神社です。
社伝によれば、創建は神功皇后元年(201年)と伝えられており、主祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)です。古くから商売繁盛や厄除けの神として信仰を集め、地域の精神的な拠り所であり続けてきました。
※この創建年は神社に伝わる由緒に基づくもので、考古学的に実証された年代ではありません。
歴史の足跡|門前町としての発展
中世から近世にかけて、長田神社の周辺には参拝者が集まり、市(いち)や商いの場が形成されたと記録や地域史で紹介されています。
現在の商店街文化は、こうした人の往来と流通の蓄積の上に育まれてきたものと考えられています。
olmo+からの距離
徒歩約5〜10分圏内。境内に立つ楠の巨木は、長田の長い時間の流れを象徴する存在として紹介されています。
2. 街道と流通|「人が通る場所」に生まれたまち
江戸時代、長田周辺は西国街道(山陽道)に近い地域に位置し、兵庫津(現在の神戸港周辺)と内陸部を結ぶ生活圏の一部として機能していました。
この立地により、農産物・日用品・海産物などの流通が活発になり、商業と手工業が共存する地域性が育まれたとされています。
3. 近代化と産業|ゴムと靴のまち・長田
明治期以降、神戸は日本の近代ゴム工業の発祥地の一つとされ、長田区周辺ではゴム製品やケミカルシューズ(合成皮革靴)の生産が広がりました。
戦後には、長田が全国有数の靴産業集積地として知られるようになります。
職住一体の風景
長田の特徴として、住宅と小規模工場が混在する街並みが挙げられます。
家族経営の作業場が点在し、生活と仕事が同じ場所で営まれてきたことが、地域文化の一部となっています。
工場の機械音や接着剤の匂いといった日常的な風景は、産業史の「痕跡」として今も地域に残っています。
4. 試練と再生|戦災と震災の記録
1945年・神戸大空襲
1945年3月17日、神戸市は大規模な空襲を受け、長田区一帯でも市街地火災が発生し、広範囲に甚大な被害が記録されています。
戦後、住民たちは仮設住宅や簡易的な店舗から生活を再建し、商店街や工場を少しずつ復興させていきました。
1995年・阪神・淡路大震災
1995年1月17日、阪神・淡路大震災により、長田区では再び大規模な延焼火災と建物被害が発生しました。
その後の再開発によって、防災公園や再整備された商業エリア、高層住宅と従来の下町エリアが共存する現在の街並みが形成されています。
鉄人28号モニュメント(若松公園)は、復興の象徴として設置された公共モニュメントの一つです。
5. olmo+のある場所|「つくる文化」の延長線上に

長田の歴史は、つくる人と使う人が近い距離で関わってきた歴史でもあります。
靴づくりや手工業が生活の一部だったこの街では、ものづくりが「産業」であると同時に、「日常」でもありました。
olmo+が扱う苔テラリウムやハンドメイド作品は、こうした手仕事文化の延長線上にある現代的な表現として、この地域性と親和性が高いと出店した今ではそう思うこともあります。
大量生産や効率が重視される時代において、時間をかけて育てる・選ぶ・使い続けるという価値観を提案することは、長田が培ってきた生活文化の一つの継承とも言えます。
6. 長田を歩く|来店ついでの歴史散策モデルコース
所要時間:約30〜45分
- 長田神社
地域信仰の中心地。境内の楠や社殿を通して、長田の長い時間軸に触れます。 - 長田商店街
戦後復興の流れをくむ商業エリア。食文化や日用品の店が並び、生活の歴史を感じられます。 - 周辺の路地散策
住宅と工場が混在するエリアを歩き、産業と暮らしが近接してきた街並みを体感します。 - olmo+
静かな苔の世界と手仕事の作品に触れ、歩いてきた街の記憶を「今の時間」とつなげます。
結びに|生きている歴史としての長田
長田区の歴史は、遺跡や資料館の中だけにあるものではありません。
商店街の日常、路地の風景、神社の境内、工場の音——それらすべてが、現在進行形の歴史の一部です。
olmo+という小さな場所が、
この街の過去と現在、そしてこれからをつなぐひとつの立ち寄り点になれば幸いです。


